蔓延

にさんち前から長男が咳き込むようになった。熱もしだいに上がってきたので定めし辛いことだろうなぞと思っていたら、私が貰ってしまった。そして次男。当然と云えば当然なのだが、元日から風邪で寝込むとはね。だがまあ、正月なんて例年こんなものだろう。


昼頃、私の生家へ挨拶にゆく予定だったがとりやめ。その旨、電話にて伝えると父、たいそう残念がる。後、うどん食って就寝。家人以外の男三人、ぐったり。


夕刻、何枚か届いた年賀状を読む。というか見る。そのうちの一枚、子どもが以前かかった事のある医院のそれにはこう書かれていた。「あけましておめでとうございます お体の調子はいかがでしょうか。(中略)2日より診療しています!」。病院というところもやはりサービス業なんだなあ。

ボヘミアン・ラプソディー

夕刻より赤羽にてI川と会飲。


居酒屋、焼肉屋をまわり腹ごしらえ済ましたのち、キャバクラ四軒ハシゴ。そのうちの一軒はロシアンパブ、私は初めてだったので少しく緊張するも期待大。だがなんのことはない、I川についた女は若くて色の白いロシア女だったが、どういうわけか私のそれは英国のロックバンド「Qeen」のギタリスト、ブライアン・メイ氏によく似たルーマニア出身のおばさんだったものだから、一寸がっかり。そのおばさんは30歳だと云っていたが、絶対に嘘。


日本語ほとんど話せぬような女二人と、ロシア語はおろか英語もろくに話せない男二人なのだから会話が成り立たないのは至極当然の事であった。私は拙い英語で、ルーマニアの有名人を訊いてみた。すると女はさっと立ち上がって「コマネチ!」と、例のあの、ビートたけしジェスチャー交えつつ云い放ったのである。これには私も思わず吹き出したが、その後の会話がついぞ盛り上がる事はなかった。


それから二軒のキヤバクラをまわったが、その記憶ほとんど無に近し。覚えてるのは42歳のホステスと最後にラーメンを食ったこと。どうしてそういうことになるのか。帰宅時刻不明。無一文。いや、それどころかカード決済の領収書3枚あり。恐ろしくなったので金額は見ずに就寝、6時前。

SHOWーYA

鳩ヶ谷駅前の「庄や」にてI川と会飲。刺身、焼鳥、カツとじ、新香で麦酒と焼酎1本。話題の大半は友人知人らの悪口雑言、その他は愚痴と自慢話。昔から彼との話題はその類、すこぶる愉し。が、いささか飽きてきたので谷塚の「庄や」に移動しS野夫妻を呼び出す。席上、札幌にいるタクミンの話になったので掛電。彼がまだ谷塚にいた頃はほぼ週一で飲んでいた位のものだが、話すのはおよそ一年ぶり。S野夫妻も同様にまったく連絡をとっていなかったそうである。歳をとるとそうして、次第次第に友人と疎遠になって仕舞うものであり、それも致し方ない事だと思っているが、やはり一抹の寂しさを感ぜずにはおれない。


後、草加にて飲みなおすつもりでタクシーに乗り、しつこくI川に同行するようせまったが拒絶される。2時帰宅。腹が減ったので再び家を出てコンビニへゆき、大量の食料品を買いこむ。いけないこととおもいつつ。就寝5時。

明暗について

先月の黄金週間中に読んだ夏目漱石の「明暗」に尋常ならざる感銘を受けた。読了したるのち、私はしばらく茫然とも陶然ともつかぬ態で凝つと余情に浸つてゐた。ここでその感想を述べるのは止すが、兎に角、凄かつたとだけ云つておきたい。


未完ながら漱石の最高傑作と云ふ声が多いのも尤もな事である。車谷長吉氏は著書のなかで、近代日本の文学作品ベスト3のひとつに挙げてゐる。私も、私が今までに読んだ総ての書物の中からベスト3を撰ぶとしたら、迷ふ事なくこの「明暗」を挙げるであらう。


数日を経て私は、水村美苗「續・明暗」をアマゾンにて求めた。軈てそれは私の手元に届いたが、すぐと読む気にはなれず逡巡してゐた。何故と云へば、漱石がどんな結末を用意してゐたかをあれこれ想像する愉しみが失はれて仕舞ふやうな気がしたからである。


しかし斯様な少女趣味じみた気持ちよりも好奇心が勝り、つい四五日前に漸く読みはじめたのであつた。さうして本日先刻、読了に至つた次第である。結末に些かの物足りなさ、と云ふか冗長な感があつたけれども、全編、その筋立てと筆致に敬服しつつ、すこぶる面白く読んだ。


漱石が思ひ描いてゐた結末がどのやうなものであつたかと云ふ事は漱石のみぞ知るところであり、畢竟我々は知り得ないのだから、どのやうな解釈があつても宜しからうと思はせる、なかなか力強い作品であつた。

辯解

もはや日録とは名ばかりの、きわめて怠惰なブログに成り果ててしまった事を日々遺憾に思いつつ、しかし小供が一才になったらその記念と云う意味も含め、日録を再開しようとも考えていた。と云うのは彼奴らも一才になれば、少しはあの頑なな就寝拒否や夜泣が落着いてくれるだろうとの淡い期待を抱いていたからなのだが、いま思えば何の根拠もない所謂「希望的観測」であった。その証拠に、現在一才半になろうとしている彼奴らの昼夜構わぬ傍若無人な振舞いは、日を追うごとに激しくなって来ているからである。


そう云うと何か、ブログの更新を行えないのは小供のせいででもあるかのような云い草に聞こえるかもしれないが、まあ、おおかたそんなところだ。


http://m.youtube.com/watch?v=nWX8_-qmino

當選の日

仕事中、青空文庫にて新規公開されてゐた太宰の「當選の日」と云ふ随筆を読む。初出は昭和14年と云ふことだから、太宰、三十歳の頃に書いたものであらう。三十の時、私なにをしてゐたらう。人妻と、水族館デートなぞしてゐたのか知らん――。とにかく、とてもよい話だったので、将来、オトハルにも読んでほしいとぞ思ふ。



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斉藤チルドレン

子らが誕生してちょうど半年だ。と云って格別の感慨も無いのだが、家人の提案で毎月一日には、おなじ構図で子らの写真を撮ろう、という事になったのでここに載せておく。なんという親馬鹿。いや、バカ親なのでせうか。


ところで、「双子の育児は大変でせう」などと云われることが此頃よくあるのだが、うまく返答できない。私はただ「ええ、まあ。」などと、はにかみを浮かべてゐるしか術ないのである。てれてゐるわけではない。初ての子育てが双子なのだから、較べようがないのである。つまり、子一人の育児を経験してゐない故、大変とは云い条、まあこんなものだらう、としか感じられぬのだ。だから殊更に、「双子の育児は大変?うん、とってもとっても大変。」なぞとこぼす事で、世の双子の親すべてが持ってゐるであらう「優越感めいたもの」を相手に悟られるのが、私には何より嫌な事なのである。