払暁

昨夜未明、いつもより2時間も早い就寝のせいか、或いは、その前の仮眠の影響もあるだろう、4時過ぎに目が覚める。やむなく起き上がり、どうも上手くいかねえなあ、思いつつ、行きたくもないトイレットへ。寝起きの「だるさ」といったもの、微塵もない、年に一度あるかないかの「快眠」、就寝を2時間早めれば、そのぶん酒の量も減る、そういうことか、そんな簡単なもんじゃないだろう、これは夢なんじゃないか。

掌の部分に黄色いブツブツの付いた手袋が束になっている。人工的な木目の入った、会議室にあるような長机のその上に。パイプ椅子をたたむ音、足元のコンクリート床は、両足の感覚を麻痺させるほど冷たい。手袋とマジックインキを手渡され、そこを出る。静寂と、同伴者の息づかい、天井は遥か、等間隔にそびえ立ついくつもの石柱を見れば、宮殿の印象。だが見渡すうち、それは工業的な、圧迫感の如きものに変わる。曲線の少なさによるものか。

再び布団にもぐり込み、いつもの癖、体を左に向ける。枕に左耳、程なくしてみずからの心音を聴く。序破急を繰り返し、狂う舞踊、声声声声声声、顔顔顔顔顔顔。水面から奇妙な波紋たゆたえ顕現する、ねたみ、そねみ、ひがみ、それらを感じつつ、右に寝返りうつ。しかし、何も変わらない。幼少の頃、いつもこれだった。だから、みずからに暗示をかけ、変えようとした。眠ろうとした。「左のときはイヤなことを考える、我慢して。でもそのかわり、耐えられなくなって右に寝返りうつと、がらりと世界は変わり、楽しいこととか、うれしいことしか頭に浮かばない、だからすぐ眠れる」というような。

大型トラックの荷台から、次々に白い箱がおろされていて、ねむい目をチカチカさせながら、そこに近付いていく。深夜零時出勤。私が22歳のとき働いていた、KA市場、生花部門の「初日」。セリ(競売)は5時から、それまでは日本全国各地から納入される生花に、というよりその箱に、マジックインキで数字を入れていく。要するに現在のバーコード、「産地、種類、色」などの基本情報。3時過ぎに買い手が来て、その情報をよすがに物色、5時のセリを待つ。

常夜灯の明るさ、この残酷な色は今でも憶えている。現在もそれは変わらず、室内真っ暗、或いは、真っ白でなけりゃ眠れない。あの、ぼんやり薄茶色、恐怖でしかない。幼少期の不眠には、ある大きな要因がふたつあったと考えられる。そのひとつだけを申し上げると、夜尿症。これは小学6年まで頻繁にあった。5年、林間学校。6年、修学旅行。そこに参加することに、ひどく恐怖を感じたのを、はっきりと憶えている。現在においても、常夜灯の下で、恥ずかしさと恐怖心が、しばしば言い争っている。

4時過ぎ、市場内の食堂でメシ。我々アルバイト、買い手、仲買、競り人、すべて一緒。あのときのメシは、ほんとうに美味かった。基本は、米飯、味噌汁、ポテトサラダ。これに各々、おかず二品を申告するシステム。それで500円以下だったと思う。しかし「おかず」といっても、謂わば居酒屋の「小鉢」。しらすおろし、納豆、生卵、切干大根、ハム、昆布佃煮、他、ちょっとした料理、極小焼魚なんかもあったが、「食べる」やつなんかいない。5時のセリに向け、皆メシにおかずをぶちまけ、かっ食らうだけ。私もそれにならい、米飯一杯目、しらすおろし。たちまち二杯目、納豆&生卵をぶっかけて食う。というより流し込む。でもほんっと、美味かったなあ・・・・・・。


払暁、朝刊を配るバイクの音が、遠くのほうから聞こえてくる。