隣人

18時帰宅。玄関にて靴を脱ぎつつズボンのポケットから財布、煙草などを取り出し投げ捨て、ベルトをはずして浴室に駆け込み、水を浴びる。つまり、衣服を身に着けたままシャワーを浴びるのである。最近これがどういうわけか気に入ってしまい、帰宅後の愉しみのひとつとなっている。云うまでもないが、身体などを洗うときには衣服を脱ぐことにしている。

夜。大根漬、鯵のたたきを肴に麦酒を飲んでいると、玄関チャイムが鳴った。めんどくさいので、私はそれが聞こえないふりをして箸を動かしながらテレビを眺め、家人が応対に出るのを待っていた。ところが、家人のほうをちらりと見ると、家人もまた同様、いやそればかりか、玄関チャイムなどどこ吹く風、テレビに向かって「悪くないよなー、駒野。責められないよなー、うーん」などと、しみじみ独り言をつぶやいているという有り様。仕方ないので私が玄関までゆきドアを開けた。

ぎくりとした。というのも、そこには見知らぬ7、8人の老若男女が立っていたからである。私は一瞬間、仇討ちか、或いはガサ入れか、或いは報道陣、或いは劇団か、とも思ったが、まったく身に覚えがござらぬので、すぐ冷静さを取り戻し、かつ高揚し、「相手が何人だろうと、やってやろうじゃないの、かかって来やがれこの木っ葉ども!」の心意気、しかし、少し声を震わせながら、「なっ、なんですかぁ、あなたたちは」。するとそのうちの一人の女が、「隣に引っ越してきた〇〇です。これ、つまらない物ですが――」と、なぜか『お中元』の熨斗紙が掛けられた箱を私に手渡したのである。

居間に戻り、「なんなんだ、あのドサまわり劇団みてえなのは。まさか隣で共同生活おっぱじめるってんじゃねえだろうなあ」と家人に言うと、彼らはすでに今朝、挨拶に来たのだという。家人の話によると、どうやら隣に住むのは、私に『お中元』をくれた女とその夫、そして2才の男児の3人であるとのこと。その他の連中は、夫の両親や友人らで、引越しの手伝いに来ただけなのだとか。しかしそんなことを聞かされてもねえ、あの人数じゃ、誰が夫で誰が友人なんだか判別できぬ。滑稽だよまったく。事情はわからないでもないが、にしても驚かせやがる。なにも手伝いに来た奴らまでうち揃って挨拶に来るこたぁねえだろうがよ。ったく、変なのが隣に来ちゃったぜおい――。思いつつ、『お中元』の熨斗紙をベリベリ破って箱を開けると、それは水羊羹とゼリーの詰め合わせであった。

ふと思う。お中元やお歳暮というものは、日頃お世話になっている人に、というのが一般的であろう、それをなぜ私に・・・・・・というのはまあいいとしても、それより、時期的にはまだ少し早いんじゃないかと思ったのである。そこで私は――これはひょっとすると、昨年のお中元なのではないか、つまり彼らが2009夏、どこかから戴いたお中元を何らかの理由で、例えば、水羊羹なんて食えるかこんなもん、ビールや商品券のほうがよかったなあ、わかってないなあ、などの理由から、手をつけぬままぞんざいに放置してあったものを、この度の引越しの荷造り作業中に発見し、こりゃあいい、ってんで、隣家への、すなわちわが家への「引越し挨拶品」としたのではあるまいか――と考えたのである。ということは、と私はすぐさま箱に詰められた水羊羹とゼリー、そのひとつひとつの賞味期限を丹念にチェックしたのであった。