親権


北千住駅前にてリムジンバスに乗り、羽田の飛行場に着いたのはまだ陽の落ちきらぬ夕刻のことで、16時を少し過ぎた頃であった。私が搭乗する便の出発時刻は19時半であるから、海外旅行じゃあるまいし、三時間も前に羽田に来てしまったことになる。前回の広島行きは極度の緊張、また、出発が早朝ということもあり、旅馴れぬ私の目算は大いに狂って、搭乗までの時間が可成バタバタ慌しかったものであったため、今回は時間に余裕をもって家を出てきた積であったが、それにしても、三時間前というのはちと早すぎたやうである。「どうもうまくいかねえなあ」。私は一先ずカフェに入って、愛想のない女給仕に生麦酒を註文した。川崎長太郎を読みつつ二杯飲んで店を出る。その後、場内をぶらぶら歩いて書店や土産物屋を覘いたり、喫煙室で煙草を喫みつつ、如何にして時間を潰そうかと思案していたが、ふと気がついたのは、かような場合、いくら思案してみたところで、私なぞには酒を飲むことぐらいしか時間を潰す術がないと云うことであった。


案内板によると地下一階にバーがある由、ゆくと、いわゆるオープンカフェ風の店がそこに在った。お高い雰囲気の店ではあるが、ほかにゆく所もないのでそこに入り、弓状のカウンターにつく。客は私一人だけである。ここでも長太郎を読みつつ、葡萄酒とウヰスキーをダブルで三杯飲む――。気がつくと出発時刻も迫って来、また、かなり酔っぱらってしまったので店を出る。俗に云う「酩酊状態」に近かったが、そのまま家に帰るわけにもいかぬゆえ、千鳥足にて搭乗口へ向かう。



広島空港よりバスで50分。広島駅に到着したのは23時頃のことである。バスをおりると、身を刺すような寒さであった。なんと云っても風がきわめて冷たく、埼玉のそれとはまったく異質なものであると感じた。同時に、北国でもないのになぜ埼玉よりも寒いのかと思った。中国地方と云うと、なんとなく温暖な気候のイメージがあるからだ。仄聞したところによると、数日前には降雪があったようである。


やがて家人と妹が自動車で迎えに来、居酒屋にゆく。なぜまっすぐ実家に行かないのかと云うと、それは彼女らの心遣いであろう。そこでは麦焼酎の湯割りをしこたま飲む。大宴会。と云うのは嘘で、2、3杯と慎ましい。と云うのも先に述べたように、私は羽田で酩酊し、さらに機内でもたくさん飲んでしまったのと、一刻も早く子らの顔を見たいと云う、いずれも恥ずかしい理由からである。――1時頃、家人の実家に着く。しばらくぶりに会った子らはすやすやと眠っており、私は、「おれだぜ、おれが父親だぜ。会いに来たんだぜ」などと、酒臭い息を吐きながら彼らの頬に口づけしようと顔を近づけてみると、ものすごく乳臭かった。これには驚いた。なぜなら「赤ちゃんのにおい」なぞ云うそんな可愛らしいものではなく、その匂いは「ウッ」とか「オエッ」となる程のものであり、もっと云うとそれは、血の匂いがしたからだ――。



それが、以後七日間に亘る広島逗留の始まりである。