その日ぐらし

午後、東名高速道路を西へ。御殿場I.Cで降りて、われわれは箱根仙石原に向かうため、曲がりくねった山道をのぼってゆく。同行の妻の話によると、目指す宿までは20分ぐらいとのこと。それなら楽勝。なにも急ぐことはない。というわけで途中、峠の茶屋に寄り一服。標高がいくらか高いのと、この時すでに夕刻の五時を過ぎていたこともあってか、とても涼しく心地よい。背後には切立った崖、鬱蒼たる山がそびえ、ヒグラシの鳴き声が絶え間ない。ヒグラシというと、夏の終わりを告げる風物詩のごときものだと思っていたが、まだ7月である。ずいぶん早いようだが、このあたりではそれが普通なのだろうか。まあ、この涼しさなら無理もあるまい。

宿に到着し、通されたのは「南館」5階の部屋であった。その大きな窓からの眺めは絶景で、目の前には、「北館」が見えるだけであった。「いいと思う。」私は、シャーッと勢いよくカーテンを閉めた。気を取り直して一服、「さてシャワーでも浴びてビール飲むか」と思っていると、妻がこんなことを言った。「せっかく来たんだから、温泉に入ってこいよ」。私は、部屋のシャワーでいいよと言ったのだが、妻は「せっかく来たんだから」を連発。

私は温泉が苦手で、というか正確には「大浴場」というものが苦手と言ったほうがよいだろう。とても緊張するのである。早い話、恥ずかしいのである。また、よくよく考えてみると、何が悲しくて見知らぬ人間、しかも男同士で同じ湯に浸からなければならないのか。こんな不潔なものはないとさえ思う。あの雑菌うようよのガンジス川のごとき浴場を、なぜ日本人は好むのか。日本のオッサンは好むのか。「効能」なんていったって、2、30分ぴちゃぴちゃやった程度じゃ、どうということもないだろう。本末転倒ではないか。つまり風呂に、わざわざ汚れにいくようなものではないか。というような嫌悪感を抱かしめるのも、苦手な理由のひとつである。――だがそんな不衛生きわまりない湯に浸かりつつも、「あああぁ、極楽極楽。やっぱ足を伸ばせる風呂は気持ちいいなあ、夏の温泉も悪くないなあ」などと思わずにいられなかったのはなにゆえか。

20時半から宿内のレストランにて、いわゆるバイキング形式の“お食事”である。妻を含む女性たちの「バイキング能力」の高さに圧倒され、私は何十種類もの食い物が並べられた会場内をただうろうろ、おろおろ、気おくれするばかりで、結局、どういうわけか「鶏の唐揚げ」だけをひとつの皿に山盛り、席に戻ると、妻は大笑いしながら「センスねーなー、ギャハハハハハ」。後、ひたすら唐揚げを食い、かつ「箱根山」という地酒を飲みながら、制限時間の90分が過ぎるのを、じっと待つだけであった。