メデタイの森(下)

未明にS野君と交信。結婚おめでとう。「祝杯ダ」などと託けてウヰスキーを一本空ける。就寝6時。祝い過ぎたようである。


15時に起きて洗濯と掃除。そのあと本を読み始めたが、そわそわする心持ちゆえ内容などちっとも頭に入ってこない。ただそこに書かれている文字を上から下、上から下、と目で追っているだけであった。そんなことを三頁ほど繰り返していただろうか、「これは時間の無駄、すなわち浪費である」と云うことに思い至った私は本を閉じ、コーヒー牛乳をG飲、暦に目を遣った。先月と今月ほど暦を見る時間の長かったことが、かつてあっただろうか。


「あと三日かあ・・・・・・」。私はしみじみそう思ったが、そんな年末のカウントダウンめいたことを、私は10月の頭からやってきたのだ。と云うのも家人はその頃(妊娠28週)すでに医師より「いつ生まれてもおかしくない状態」と云われていたからである。当然ながらそんなに早く生まれてもらっては困るのであるからして、投薬および点滴などによってそれを遅らせ、週一の検診の度に出産予定日(目標)を少しずつ先へ先へと延ばしながら、どうにかここまで保たせてきたと云う次第なのである。その間わたしは毎日、気がつくと暦を見詰めて、ただ祈るよりほかに何もできなかったのである。だがようやく、そんな辛くもどかしい二箇月間もあと三日を残すところとなった。正直、ちと疲れている。


ところがどっこいそんな甘いものではないようでして、上に述べたような話を、なかなかの苦労人っぽく誰かに語ってみても同情を得ることなどできぬもので、つまり大概の人に云われるのは、「大変だねえ。でも、生まれてからのほうがもっと大変だよ」。――そうですか。そういうもんですかい。へえ、そりゃ恐ろしい――。