そのオデコ、凶暴につき

13時に病院へ行く。


どうにか自力での歩行ができるようになった家人を伴いYMCAに、じゃなかった、NICUに行く。歩行と云っても、前屈気味で廊下の壁に取り付けられた手すりにつかまりながらの移動。痛々しい。NICUにて担当医の説明を受ける。経過は良好で、大きな問題はないと云う。子ら、酸素供給の必要もなくなり、保育器から出され普通のベッドに。看護師に促され、初めて子らにミルクを飲ませたが、それがなかなか大変で、私は汗をダラダラ流しつつ哺乳瓶を咥えさせていたのである。と云うのはグニャグニャの赤ん坊を抱く緊張と、室内の温度の高さである。早い話、暑いのだ。たださえ病院という施設はやたら空調(暖房)を効かせたがるものだが、訊けばNICUという所は、その上さらに室温を高くしてあるのだとか。私は家人や看護師たちに笑われながら、子らのベッドにあった“よだれ拭き”を借り、流れる汗を拭き拭き授乳するのであった。


 



夕刻、子らの名前がようやく決まる。兄、緒冬(おと)。弟、羽琉(はる)。なかなかの力作だと思う。その苦労話の一つや二つ、ここで述べさせて頂きたいものだが、一般的にそういった話は敬遠される風潮があるようなので、ここでは書かないでおく。